最近、耳障りなフレーズがある。
「自分の為に生きる」
「一人でも楽しく生きれる」
あまりに無責任で吐き気がするぐらいに都合の良い言葉たちだ。
何が質が悪いかって、キラキラ生きてますみたいなタレントが見せびらかして普通の人を勇気づけます的な雰囲気で本や記事にしたりしていることだ。
騙されてはいけない。
個人主義に走ってはいけない。
人間は一人で生きていけないし、自分の快楽を第一に生きてはいけない。
孤独に生きた老人が楽しかったと満足げに死んでいく姿を見たことがあるか。俺はない。なぜなら孤独に死ぬから死に際すら誰も見ることがないからだ。
騙されてはいけない。一人で楽しく生きていく覚悟は最後まで決めてはいけない。
人類文明
人間は常に可能性を切り開くことで生き抜いてきた生き物だ。
なぜ、我々は常にフロンティアを目指すのか。無駄に思えるような研究をひとつひとつ積み重ねるのか。人間は文明を止めたらそこで可能性が途絶えることをわかっているからだ。
もし、今隕石が地球に落ちてくることがわかったとしても人類にとれる手段はない。だが、100年後だったら、なにかできることがあるのかもしれない。
それこそが可能性の重要性だ。
人類の進歩には、とてつもない能力をもった人々がブレークスルーを起こしてきた。そういったブレークスルーを起こせる人間は稀にしかでてこない。
普通の人間ができることは、そういった能力を持つ人間が生まれてくる可能性を常に繋ぎ続けることだけだ。たとえ天才だろうと社会無しでは生きていけない。社会を構築する一人一人の存在もかけがえのない存在ではあるのだ。
普通に生きていれば、どこかで知るだろう。自分は特別ではないと。だが、未来のために可能性のために社会を持続させていくことは誰にでもできる。
どんな人間だろうと何かしらの可能性孕む一つのパーツになりえるのだ。
だから社会を構築せねばならない。個より群で生きていくことこそが本当に重要なことなのだ。
最近は、あまりに個人を重視しすぎて社会を蔑ろにし、豊かさを自分だけが享受できればいいという思想が蔓延りすぎているように感じる。
自分らしく生きるのは自由だが、それが自分の為だけに生きることではないと知れ。
群れを馬鹿にする人間も名も知らぬ誰かの仕事に生かされていることを知れ。
普通に生きることこそが、未来を育てる土壌である。
動物として性を謳歌し、仕事をし、未来に社会をつなげることは本当に素晴らしいことである。
最近では、「産めよ増やせよ地に満ちよ」といったフレーズですら誰かを傷つける可能性があると表現を憚られることがる。
だが、あえて言わねばならない。むしろこういったことを堂々と言えないほうがおかしくないだろうか。
産めよ増やせよ地に満ちよ。
社会を繋げて未来を生きよう。
特別ではない人間として社会の一員として自分らしく生きる。