以前、村上春樹のラジオ番組でボサノヴァの企画があった。

そこで、村上春樹のイパネマ娘の短編を自分で朗読していたが、それを聴いて驚いた。

村上春樹の形而上学的なイパネマ娘は、村上春樹から缶ビールを渡されてそれを飲むという。

流石に、村上春樹レベルになると、形而上学的なイパネマ娘も会話してくれるのかとまず驚き、缶ビールを飲むのに更に驚いた。

私の形而上学的なイパネマ娘は、こちらを流し目で見てくるだけだ。とてもじゃないが、声すらかけられない。ウェーブがかった黒髪が美しく、ただただ見とれている。

彼女は、形而上学的な砂浜にあるカフェバーのテラスで何か本を読んでいる。氷の入った薄いカクテルのような、ただのアイスティーなのかわからないけれど、そんなものをストローで時折飲んでいる。

僕は海に近い座席で、ピニャコラーダをのみ、次にコーラを飲む。

視界の端に彼女をとらえながらその光景を心に焼き付けるように、目を閉じる。

いずれ、村上春樹のように声をかけられるのだろうか。

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