北海道は、2回目である。前回は海沿いを中心にぐるっと回ったので、今回は内陸部のドライブを目的に北海道へ。

結局、海へきてしまった。

北海道の海岸で、シリンダー型のビン玉をゲット。さすがサイハテである。

なんか最高の職場な感じ。

ひとりぼっちで旅をすると、孤独にさいなまれる。なぜ、なぜ、なぜ、と人生に対する恨み言がコンコンと湧き出てくるのだ。これが、海外ならばそんな余裕がないままに刺激的な経験が否応なしに飛び込んでくる。しかし、日本国内はいわばホームである。ある程度の余裕があることで、ひとり、思考の沼に落ちていくのだ。

恋すること

人を好きになる。これは、かなり簡単だ。たいていの人間には見所も、長所もあるのだから。

人のことを嫌いになる。これも簡単だ。たいていの人間には、短所があるものだから。

では、人に恋する。これがなかなか難しい。

日本人である僕が『恋』への理解を深めるために、ご先祖様の意見を見てみたいと思う。

ありつつも君をば待たむうち靡(なび)く
わが黒髪に霜の置くまでに

このまま私は恋しいあなたを待ちましょう。私の黒髪に霜がおりるまで、白髪になるまでも

磐之媛命 万葉集

こんな純愛、現在に存在しているのか?そもそも当時でも絵空事じゃないのだろうか。

我が背子と二人見ませばいくばくかこの降る雪の嬉しからまし

夫のあなたとみれば、この降る雪も嬉しい光景になるのに。

光明皇后 万葉集

寒く憂鬱とさえ思うような雪も、好きな人と見れば、ただ美しい景色に変わるという歌だろう。これは、なんとなくわかる気がする。好きな人と一緒でいるのなら、どうでもいい光景に意味を見いだせる。

だいたい、観光地で、カップルが「わー綺麗だね」なんて言ってるのだって、本当に景色をしっかり見ているわけじゃないだろう。その場の流れで綺麗と言いながらイチャイチャしているだけに違いない。そしてそれが正しい楽しみ方だとすら思える。

夏の野の繁みに咲ける姫百合の
知らえぬ恋は苦しきものそ

夏の野原にひっそりと咲く姫百合のように
あなたへ知られていない私の恋心は苦しい

大伴坂上郎女 万葉集

恋とは、相互の感情ではない。一方的な気持ちの事なのだ。そしてその気持ちは、秘めているととても苦しいということがわかった。

恋は、叶う叶わないではなく、恋心を知ってもらうことこそが重要なのかもしれない。

私の人生において、恋が存在していたのかはわからない。

私が好意を寄せた相手は確実に存在していたはずだ。ただ、私の中にある呪いがひとつ思い当たる。

「私以外の誰かが、彼女を幸せにできるのであれば、あの娘の隣にいるのが私である必要はない。」

この呪いは、初恋を諦めたときに芽生えたものなのだろうか。思い返せば、中学生のころにめちゃくちゃショックを受けた失恋?があった気もする。ただ、それを引きずった覚えはないので、やはり恋心が軽いのだろうか。

人間が生きる意味、それは知ることである。

私たちが、知ったから太陽が存在している。私たちが知ったから、太陽系が、銀河、宇宙が存在している。

私が、あなたを知ったから、あなたが存在している。
あなたが、私を知ったから、わたしが存在している。

相互の知こそ存在の根源である。

そして、世界の存在のために、私たちは恋をして、つぎへつなぐのだ。

足寄町の道の駅で、非常に寂しさを感じ、寝袋に包まって眠った。

翌朝、道の駅でとある石碑をみつけた。足寄町は、松山千春の生まれ故郷ということで、「大空と大地の中で」の歌詞がかかれた石碑だった。

私が、あなたが、誰の隣にいたいのか。誰かの隣にいたいという気持ちが芽生えたら、今度はその気持ちを守りたい。

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